BASSO memo

ブログ兼備忘録としてのメモ帳みたいなものです

僕達は欠片

だと思うんです。

いろんな先人たちの。


『意志を紡ぐ』と言うと大袈裟ですが、
大まかにはにはそんな事を言いたい。


僕がそれを思うのはミュージシャン絡みの話が挙がったときが多いのですが、

僕の好きなミュージシャンが引退や、活動停止(若しくは、不本意な逝去)に直面した時、

表立った活動が不可能な状態になった時、

ファンがするべき行動というのが、たまに話題に挙がりますが、

『活動再開の署名運動』とかっていうのが、よく聞くケースです。

またはそれに連なる運動(CDの購買運動なんてのもありますね)でしょうか。

こういう直接的な行動が、ほぼほぼ多数を占めるのだと思います。

ファンからしてみれば、自分の好きなミュージシャンが活動再開するきっかけになるのです。

『それが、一番良いに決まってる』

そうなんです。
決まってるんです。
決まってはいるのですが、

僕が思うのは少し違って、



外的要因に依って、活動不能に至ったミュージシャンは別として、

本人の意志で、活動停止したミュージシャンに限定されるのですが、

そのミュージシャンは自らの意志で活動停止に思い至った場合、

それまでの道程は僕達ファン側が考えるより、
当人にとって、
はるかに複雑な考えと社会的事情が相まって出た結果だと思うのです。

その本人の意志を無いものとして(?)
活動再開を運動によって求めるのは、

『当然の行為なのだけれどエゴ』

という煮え切らない結果になってしまう。
(両方の気持ちが内情は別としても経過は理解はできる)

そんな気持ちになるから、
そんな時、僕にできる事は何か?と、

考えると、



『直接的には何もしない』



なんてお約束の消極的な話になってしまうのです。


ですが、消極的なのは飽くまで『直接的』関与に限定された話であって、

間接的、または自己消化した考えを実行する事に、消極的になる必要はない訳で、

じゃあ何をするのか?という話は…。



ちょっと前置きが長すぎたので、
跨ぐ事にします(笑)